泣く度に解るんだよ ちっともひとりじゃなかった
家の階段で足が滑って落ちました。最後の二段くらい。とっさに手摺を掴んだけどダメでした。腰から落ちました。すごい音がした。全身に強い衝撃が加わったせいか、頭は打っていないのに頭痛が。家の中にも危険はあるのねー。
もう少し夏の名残があると思ったのに、あっさり秋がやってきて慌ててます。風鈴をしまったり、かけてある小風呂敷を替えたり。出来るなら季節を感じて暮らしたいな、と思っているけど時間や気持ちに余裕がないとなかなか。
それでも家事は嫌いじゃないです。家事をする、というより、自分が、家族が快適に気持ちよく暮らせるように整える、という感覚。前の結婚のときは、この感覚が薄かったからもったいないことをしたなあ、と思う。
二回目のワークショップのことを考えながら、掃除をしたり洗濯をしたり。家中の窓をあけて風を通して。カーテンが風に揺れるのを眺めるしあわせ。
ふっとよぎるのは、抱えている古い記憶のこと。たくさんがんばって、治してきた傷が亡霊みたいに蘇って少し戸惑ってる。ぼんやりDVDを見ていたら、こんなセリフが聞こえてきた。
「・・・そうやって俺は恨みとか嫉妬とか、そういうろくでもないものを少しずつ小さく折りたたんで行ったんだと思う。小さくはなるんだけどさ、なくなんない。きっと俺のどこかにあるんだと思う」
大好きな木皿泉さんのセリフ。そうだ、わたしもあの傷を少しずつ小さく折りたたんできたんだ。だけどそれはなくなんない。時々それが顔を出して驚かすけど、それがわたしの全部じゃない。わたしはその傷に飲み込まれない。そして傷は、なくなってもなくならなくても、それでいい。傷が小さくなってそこにある、ということがわかったから、自分に優しくしよう。そう思っていたら携帯が鳴って、友達からのメッセージが届いた。昨日、とりとめのないわたしの話を聞いてくれた友達。
「ひーちゃんはありのままでいいよ。そのままでいいよ」
なんだろうなあ、この気持ち、どうやって伝えたらいいのかな。わたしはいつも一人じゃなかった。自分のことでいっぱいになると、一瞬そのことを忘れてしまうけど。時々思うんだよ、しあわせ選手権があったら意外とわたし、いい線いくんじゃないかって。そうだった、歓びはいつもすぐそばに溢れてる。
できるなら、苦しみや悲しみからではなく、歓びから学びたい。きっとできると思うから、歓びにフォーカスしていこう。これからもずっと。