ゆるゆると、でも、どっしりと。
先日、風邪をひいていたときに見ていたDVD。
緩いテンポで話が流れる。
時々、うとうと眠ってしまっても
急に流れが変わったりしていないので安心。
出てくるインテリア、小物一つ一つも
どれも素敵。
目を皿のようにして見てしまう。
このストーリーの根底にある軸が
ブレないところも好き。
主人公のアキコの芯の強さが、嫌みなく
描かれていて、なんだかアキコに憧れてしまう。
こんな風に暮らせたら、こんな風に
生きられたらいいな。
眠りと眠りの谷間で、何度も思った。
風邪をひいた
検診に行って、風邪をもらってきたらしい。最初は花粉症かと思って「今年は随分スタートが早いなあ」と思いながら薬を飲んでいた。
・・・効かない。おかしいな。
と思っているうちに、頭がクラクラとし始めて、体が重くなっていく。気がついたら熱が出ていた。
風邪じゃん!
インフルエンザじゃなかったのがさいわい。熱はそんなに高くなかったのに、あんなに目が回るなんて。歳かしら・・・。
風邪が回復した先日、夫と温泉へ。広々とした露天風呂に、美味しいご飯。なんという幸せ。帰る家があるからこそ、旅が特別なんだなと思う。わたしと夫が家に戻るなり始めたのは「掃除」(笑)犬が避妊手術で入院している隙に一泊してきたので、日頃は犬に邪魔されて出来なかった掃除をここぞとばかり!夫は犬用のサークルを水洗いして満足そうだった(笑)
お互いに黙々と掃除をしながら、やっぱりこれも幸せだ、と思った。
こぼれ落ちていく日々は
会社を休んで、期限ぎりぎりの乳癌と子宮癌の健診。ばったり従妹に会った。1,2分話してそれっきり。従妹はその後仕事に行ったらしい。
もっと若い頃は、癌の健診だって毎年じゃなくて良かったし、数年に一回の健診だって、何とも思わなかった。今は、ちょっとドキドキする。友達の友達が、とか、知人が癌だとか、闘病中だとか言う話を聞くようになった。
そう、死がわたしの背中に張り付いていたっておかしくない年齢になった。それで、最近は思う。わたしは自分のやりたいことをやりたいようにやって、たくさん周りに迷惑もかけた。今だって、周囲に迷惑をかけながら、やりたいように生きていると思う。それならもし今すぐ死んでしまっても、後悔することなんてないんじゃないか。
・・・確かに、そうだなあ。好きなように生きてきて、思い残すことはないかもしれない。でもなあ、でもなあ。
でも。
もう少し、生きていたい。
つまらないと文句を言う毎日を、誰かを誤解したり、誤解されたり、自分の未熟さを責めたり、自分自身の理想と現実のギャップにがっかりしたり、そういう毎日を、もう少しだけ味わいたいんだ。
その中にある、夫と一緒にテレビを見てゲラゲラ笑ったり、犬を撫でるときのもふもふの感覚を、晴れた空の青を、ふいに訪れる小さい喜びを愛してる。
許されるなら、こんな毎日がもう少し続きますように。
緊張の面持ちで結果を待っている。
新しいYES
毎週都合のつく土曜日は、自宅を「おうちサロン」にして、アクセスバーズの施術を行っている。「おうちサロン」なんて流行の言葉でごまかしているけれど、なんてことはない、ちょうど良い場所・安心安全を感じられるのいいスペースが見つからなかっただけだ。
わたしにとって「安心・安全な場所」でも、お客様にとってそうであるとは限らないけれど、今のところ「おうちサロン」はそこそこ好評を頂いている。
予約可能日が満杯になることもなく、かといって誰も来ないわけでもない、なんともいえず、のんびりマイペースな「おうちサロン」である。
この間夫に「もう少し、施術回数を減らしたらどうか」と提案された。真逆のことを考えていたわたしは、驚いた。平日はフルタイムで仕事をして、家事も犬の世話もある。もちろん、夫も家事はこなしてくれるけど休日の土曜日まで働いてしまうと、体力が保たないのでは・・・というのが夫の意見。
うーん・・・と一瞬考えたけれど、ここはYES。起きることには全部YESを言ってみる、という実験を去年から継続中(NO、と言ってしまうことも多い笑)。とりあえず、増やす、という選択は違っていたらしい。きっとこれは神様からのメッセージだ。そもそも夫がこういうことを言ってきたのは初めてだから。
こういうことをおろそかにせずにいたい、と思う。
Are you OK?
先日の紅梅は、寒梅じゃないの、と母親が言う。なるほど、ところで寒梅ってこの辺りではいつ咲くの?今でいいの?と聞くと、さあ、と言う。無責任だなあ。
最近は寒いから、寒梅に違いない、と説得力があるような、ないような主張を母親は続けている。確かに寒いんだけど、2日くらい前からなんとなく体で「春が来る。季節が変わる」というのを感じるようになった。
ほんの少しだけ日が長くなったり、花粉症の初期症状のようなものが出始めたり、空気が色づき始めた気がしている。
明日は立春。今日は節分だから、一緒に豆をまきましょう、と義母からお誘いを受けた。夕飯も一緒にね、と言われて、夕飯の支度をしなくてもよくなった今日のわたしの足取りは軽いのだ。恵方巻きは、毎年実家の母が作ってくれる。
ぼんやりしていても時間は流れ、季節は動く。その時々の行事のたびに時の流れを確認し立ち止まる幸せ。
毎日を丁寧に、繰り返しをつみ重ねることの歓びを感じられる大人でありたい。
新しい世界
先週だったか、朝の出勤途中(※渋滞中)に群れをなした白鳥が、2隊、前方の空を横切っていくのを見た。もう、白鳥が飛び立つ時期だっけ?と思う。長距離を飛ぶための練習だろうか。そういう時期になったのかなあ、とぼんやりした。
ふと視点を下げて、反対車線側の景色が目につく。紅色の木が目に飛び込んでくる。梅の花?遠すぎて、花が開いているのか、蕾が膨らんでいるだけなのかはわからない。梅の花が咲くには、まだ早い気がする。去年はもう少し後だったような・・・。
空には白鳥、地上には紅梅。あなたが気がついていないだけで、季節はめぐっているんですよ、知らなかったの?と言われたようで、むやみに焦る。
まだ準備ができていないのに、誰かに背中を押されて、スタートラインを飛び出してしまったような気分になった。心許なくて、不安。
そんな自分の気持ちを確認したら、余計に焦った。
若かった頃は、準備なんてできていようがいまいが、飛び出すのが大好きだったのに。もう少し冬眠していたい、と思ってる自分が意外で。新しいことが大好きで、見たことがないものを見たがっていたわたしは無鉄砲で、めちゃくちゃだったろうな。いつの間にか恐いものが増えた。大事なものができたからだ、と思う。
でも、わるくない。あの頃のわたしは「名前のついた何か」になりたくて仕方なかった。今のわたしがなりたいものは「名前のついた何か」になるよりも、ずっと退屈で根気と忍耐を試されるという意味では、難易度が高い。
これでいいのだ。
そう思ったときに、車が動いて梅も白鳥たちも視界から消えた。
一番やりたかったこと
本当は、最近読んだ本、聴いた音楽、観たDVDをさらっと記録しておきたかったんだけど、あまりにも木皿さんのDVDブックがツボにはいったので、気持ちを残しておきたい。
2011年にNHK BSプレミアムで放送され たドキュメンタリー番組『しあわせのカタチ~脚本家・木皿泉 創作の“世界”~』と特典映像。ドキュメンタリーには木皿さんと、プロデューサーの副音声が入っていて、それに薄めの(笑)小冊子がセットになっているもの。
ドキュメンタリーは、録画して何十回みたか数えられないくらい、繰り返し観ているんだけど、DVDの映像は再録だし、購入するかどうかは正直迷った。でも4年後のお二人の特典映像もみたかったので、思い切って買ったんだけど。
買って良かったー!4年後の映像にも笑ったけれど(4年前には、木皿家にはなかったエアコンと掃除機があったり、新しいおもちゃが増えていたり)、副音声も楽しかった。副音声で「この後すぐ、原稿あんまり書いてないのに、前借りお願いした」とか言ってて、エアコンはやっぱりお金がなくて買えなかったんだね、とか(笑)
付属の本、スペシャルブックにはあまり期待していなかったんだけど、これが大ヒットで。いくつか琴線に触れるポイントがあった。最初にこの企画を作った若者が、撮影中に辞めてしまったことを二人はとても気にしていて、ドキュメンタリーの中にもその話は数回出ていたと記憶してる。本の中に、その彼に向けたコラムがあって、それを読んでいたら胸が詰まって・・・。
そして、本編にもあった妻鹿さん(木皿さんの女性のほう)の闘病日記。本編では妻鹿さんの手書きの日記が映像で少し映っていて、わたし、いやらしいけど、録画で停止してその日記のページは隅々まで読んでる。それがすべての日記が文字おこしされて収録されていて。努さん(木皿さんの男性のほう)が倒れたときの、妻鹿さんの気持ち、事の経緯が記されていて、これも読んでいて涙が出た。
幸せというのは、欲望をかなえるためにあるのではない。本当の自分の欲望がわかった時、たとえそれがかなえられなくても、はっきりと自分の前にあらわれた時、人は幸せになれるのだと思う。わたしはトムちゃんとどんな形であれ、また一緒に暮らしたい。そして一緒に仕事をしたい。わたしにとって人生は、それだけだ。それが一番やりたかったことだ。
この部分、すごくよくわかった。わたしも自分の人生でやりたことは「夫と暮らすこと」だけだ。人生の目的が「夫と暮らすこと」だけではちょっとしょぼいのではないか、もっと高尚な(どういうのが高尚なのか、わからないけど)目的が必要なんじゃないかって、うっすら思っていたわたしは、すごく救われた。
同時に、死ぬまでずっと気を抜かず丁寧に、この退屈な毎日を、素晴らしい毎日を過ごしていこうと、少しだけ覚悟が出来た気がする。
スペシャルブックはまだ途中なので、少しずつ大事に読みたい。